『子供はわかってあげない』

 8月20日の封切から3週間弱。木曜日の晩18時20分の回を観て来ました。靖国通り沿いのテアトル新宿です。テアトル新宿では1日に4回上映がされています。封切当初は1日に5回ぐらい上映していたような記憶がありますが、定かではありません。いずれにせよ、23区内ではテアトル新宿のみ。東京都下全域に広げても多摩センターが加わるだけで全部で2館しか上映館がありません。(神奈川県下には上映館が3館あるようです。)

 待ちに待った封切、待ちに待った鑑賞です。その待つこと1年半以上。通称武漢ウイルスの無意味な空騒ぎの翻弄されて、上映が延びに延びた結果です。

 封切当初はかなり混雑していた様子だったので、1年半待ち明けで早く観たいと思っていたのをぐっと我慢して、時期を伺っていましたが、シアターに入ると、肩透かしのように感じさせられるぐらいに観客数は限られていました。全体で30~40人ぐらいしかいなかったように思います。比較的ギリギリにシアターに入ったせいと背の高い背もたれ付きの座席であるせいで、観客の老若男女の構成が今一つ分からないままに終わりました。上映終了後に立ち去る人々を見渡した感じでは、男女構成比はほぼ半々程度。年齢構成は20代~30代は比較的少なく、40代から60代ぐらいが過半数であるように見えました。平日の夜であるにもかかわらず、スーツ姿の男女は(仕事上の訪問先から直行した私以外)ほとんど存在せず、カジュアルな服装の比較的肥満体型の男女が多かった感じであったように思います。

 映画の公式サイトにも
「原作は、長編デビュー作ながら「マンガ大賞2015」2位にランクインした、軽やかで味わい深い傑作として熱烈な支持を集める田島列島の『子供はわかってあげない』。」
と書かれていますが、「他にも多数の賞に輝き、『週刊モーニング』連載時から話題沸騰の傑作コミック」とパンフにもある通りの作品です。コミックもたった2冊しかない長編とはいうものの、かなりあっさりと完結してしまっている作品です。

 私はこの集まった「熱烈な支持」の出し元の一人だと確信します。『週刊モーニング』連載時から掲載部分を毎号クリッピングして保存しておき、コミックが出て2巻丸ごと買い揃えられた時点で廃棄しました。ここまで気に入ることができた青春モノは久々です。絵のタッチはどちらかというと苦手なタイプで、もっとキッチリ細かな背景や線が書き込まれた作品の方が私は好きです。しかし、そんなことがどうでも良くなるぐらいに、物語展開とその舞台となる日常世界観、そして、そこに登場する主要キャラ全員のポジティブで真剣に生きる様子や軽妙な会話群、すべてが丁寧に組み込まれた状態になっている作品だと思っています。

 本当はもっともっとこの物語の前後の話を堪能したいぐらいですが、多分、このような日常的な世界の一夏の僅かな時間のクリッピングを行なったからこその輝いている時間を描写することができたのだろうと思えます。それは、主人公美波の成長過程での“通過儀礼”と称される流れとしてまとめられると思うのですが、そのような概念に収めてしまっては表現しきれないぐらいのディテールまで丁寧に描き込まれた美しい構造を持つ物語です。

 しかし、ネットで見る限り、この作品の評価はギリギリ過半数が絶賛し、半数には行かない程度で無視し得ない少数派が非常にネガティブな評価をしている状態になっています。絶賛派の意見は基本的に私と同じです。原作大ファンの私でさえ、絶賛派の人々のコメントを読むと、「いや、そこまでとは感じなかった」というぐらいの大絶賛ぶりです。

 否定派の人々は、ほぼ半々に分かれ、原作のファンであるが故に典型的「原作潰し」の実写作品であるという悪評価をしているケースと、原作を全く知らずに見て「退屈な青春映画で結局何も起こらない」という低評価を下しているケースであるように見えます。

 後者の人々の言い分に私はまあまあ共感できます。この映画の魅力を語るとき、私もどこまでが原作の良さで、どこからが実写作品として付け加わった魅力なのかと考えることが何度もありました。私もヒットしている青春映画で退屈さを感じる作品が多々あります。敢えて何度か見直して「ああ。なんとなくよく思えてきた」と感じることができるようになった作品群だけでも、『百瀬、こっちを向いて。』や『桐島、部活やめるってよ』などがあります。これらは、今では結構好きな作品になりましたが、若者論などの評論系の文章でも引用されていることで関心を持ちなおして、再見で先述のような発見に至りました。初見の段階では、「え。だから何?」と言った思いが大きかったように記憶します。勿論、こんな風な再評価に至らない若者映画も多数あります。そうであろうと想定して、存在を認知しても端っから見ようと思わない作品ももっと多数あります。

 マンガ作品も同様で私はかなり古いコミックですが『ぼくたちの疾走』が、(作家丸ごとのファンである山本直樹の一部青春系作品を除いては)ダントツの青春ものの傑作と認識していて、20代半ばに読んでからその評価は全く変わりません。熱狂的なファンだった私は、関心があるという友人に、全巻を中古で買ってプレゼントしたこともありますが、私ほどの高評価が得られたことはありません。

 ですから、この『子どもはわかってあげない』を「何も起こらない退屈な映画」と感じる人々が発生する構造も非常によく分かるつもりです。鑑賞者の或る程度の感受性を前提として、そういった「アオハル系」作品に心動かされるか否かの境界が何であるのか分かりませんが、個々によって評価が割れる以上、鑑賞者が持っている潜在意識的な「アオハル体験」の何かに共鳴する部分が見出せるか否かということなのではないかと思えます。

 前者の否定派である「原作潰し作品」であるとの主張も、私は一応分かります。たったコミック二巻しかない作品ですから、実写に盛り込もうと思えば、かなり忠実に細かなエピソードを盛り込むこともできたのではないかと思えます。その可能性から見れば、主人公以外のキャラに関する重要なエピソードの一部削除やキャラ設定の改変が見られるのは残念と言えば残念です。

 原作との違いの最大の部分は、私には門司君の兄の女性化度合いであるように思える。原作では、ルックスもだいぶ女性化しているし、ゲイ的に誇張された女性的言動があまり感じられなかったように思えます。私は基本的に原作の女性化がだいぶ進み、女性としての人生にもっと踏み込んだ後の兄の方が好感がもて、実写兄もそうあって欲しいと思えました。

 トヨエツ演じる父も映画の中で、十年以上を経て再会した娘の眩しさに対する動揺を苦労して抑え込んでいる様子が非常によく分かる好演で好感が持てます。しかし、原作とは異なりテレパスの能力を大分失っていますし、娘に対するはしゃぎようが原作より多く、性格的な違いを感じざるを得ません。主人公の美波も原作の方がややこだわりが薄く淡々としている感じではないかと思えます。美波の家庭での家族交流の場面がかなり厚く描かれていて、半分しか血のつながらない弟ともはしゃぎじゃれる姿が長尺で描かれているのは、実写美波のやや脂ぎっている部分だと思えました。

 さらに、原作ファンとしては、登場人物のセリフなどに鏤められた渋い小ネタが大きな魅力となっているのですが、それらも「OK牧場」、「藪からスティック」などの一部を除いて大幅削減されているように感じます。DVDが出たらパンフに載っている全体のシナリオを片手にきちんと確認してみたいと思いますが、それを一覧で解説する『「子供はわかってあげない」ネタ一覧』という非常に重宝なウェブページがあるぐらいです。

http://stereocat.hatenablog.com/entry/20140927/1411813843

 私はこれらのネタを楽しめますが、軽妙な会話の材料としか思っていませんので、仮に原作のこれらの材料が少なくても、会話の軽妙感が相応に実現しているのなら問題を感じません。そして本作の脚本は十分それを実現できていると思えました。

 この作品のトレーラーでも強調される美波の書道挑戦中の上の空のセリフ「うん。暗殺気を付ける」なども原作通りですし、名作コミックの原作を丁寧に模写している部分の方が私はより強く印象に残った気がします。

 パンフを読んでいて認識したのは、この作品の監督が『モリのいる場所』の監督と同じであることです。

『モリのいる場所』の感想で私はこう書いています。

「 庭からあの世の遣いのような人間が現れたりする幽玄的場面や、当時流行のドリフのコントへのオマージュで、主人公が文化勲章を「そんなものを貰ったら、たくさん人が来るようになってしまう」とあっさりと辞退する場面で唖然とした人々の頭上から落ちて来る数々の金盥などは、少々やり過ぎ感があり、普通に普通の1日を描くだけでよかったのではないかと私には思えます。特にファンタジー的な展開の方は、やるならもう少々現実の主人公から乖離する覚悟で、たとえば『蜜のあわれ』の老作家となった室生犀星が過ごした金魚の化身とのエロティックな日常などのレベルにするぐらいでなくてはいけなかったのではないかと思えるのです。

 主人公は頻繁に昼寝したりしますし、主人公の各種のエピソードを盛り込もうとしたためか、看板を描いて欲しい信州の旅館の主や近隣のマンションを建築するオーナーや主人公の生活を記録している写真家など、目まぐるしく人が訪れたりしますので、どうもこの映画全編が1日の出来事には見えにくくはなってしまっています。名作と名高い『八月の鯨』なども自然の中で暮らす老姉妹のたった1日分の生活を恬淡と描いていましたが、そう言えば、この作品同様に1日を細かく丁寧に描いたために、随分時間が経過しているように感じた記憶があります。そのようなものかもしれません。

 老いや日常の刹那に塗された幸せ、自然と調和した人間の生活など、色々と考えさせる作品です。当然、DVDは買いです。」

『モリのいる場所』では、山崎努と樹木希林の共演があまりに自然で当たり前の生活を描いていて素晴らしかったと思っています。この作品では、『モリのいる場所』で私があまり評価できなかったやり過ぎ感やファンタジー的なシーンが全くなく、トヨエツ、古館寛治、斉藤由貴、きたろうなど実力派の俳優陣がきっちりと脇を固めていて、彼ら全員が原作の世界観にどっぷりと浸ろうとしている姿勢にとても好感が持てます。それらの人々が取り囲む日常世界の中で、今までとは違った人生の段階に踏み込み、成長していくヒロインの変化がより明確に描写されているように思えます。

 さらに、観てみて良かったのは、上白石萌歌です。私は個人的に、横長丸顔、ショートカット、色黒、幼児体型が女性像の外見では好ましく感じる条件なのですが、まさにどストライク状態でした。普段はあまり横長丸顔に見えないのですが、笑ったりした際には頬が盛り上がり、完全に横長丸顔になります。後半夏の陽にやかれてガングロ状態になったところで、そのぐりぐりの瞳のが創り出す表情が尚更素晴らしかったです。終盤の屋上の正座告白の名場面も、緊張すると笑い出す美波の必至の状況をとても器用に実現しています。最後の「発狂しそう」のニュアンスはどうなるのだろうとハラハラしていましたが、非常に納得のいく「発狂しそう」だったと思います。

 真夏のまぶしい日差しと陽炎。夜の熱のある空気。そんな中で新しいものがたくさん刺激となって押し寄せる若い時間。そんな宝石のような彼女の記憶を透明感や瑞々しさを持って描くことに成功している作品です。

 ネット上で見つけたこの映画の評論文の末尾にはこうありました。

「この映画を見終わってすぐに、美波と父親の再会を願ってしまうに違いない。少女の通過儀礼を通し、人生いろいろあるけど、笑って、泣いて、明日も頑張ってみようという元気をもらえる作品だ。」

 名文です。ラスト近くで美波が母から「本当はどこに行っていたの」と尋ねられて、涙ながらに真相を告げるシーンがあります。その前に寂しく見送る実の父のトヨエツの心寂しい(うらさびしい)姿を見ているが故に、美波が「また行っていいの?」と尋ね、斉藤由貴演じる母が強く美波を抱きしめて「OK牧場…」と答えるシーンには泣かされます。

 好きな映画を邦画と洋画で各50本ずつ選んでいて、次点作品が邦画では三作品ぐらいあります。邦画で振り返ってみても、この作品と同じテイストの映画が非常に限られています。学生が主人公で、その世代だからこそ見える世界観や価値観を十分に採用し、丁寧に描写していると言う観点から選ぶと、現状『サマータイムマシン・ブルース』と『四月怪談』ぐらいしか見当たりません。優れた原作の力も反映されてのこの実写作品の強さと考えるなら、この作品は私にとって50本の中に入る大傑作です。ただ、問題はこの作品を入れた代わりに何をランク外に落とすかを決めることだろうと思います。DVDは当然買いです。

追記:
 今回の上白石萌歌を観て関心が湧いたので、以前、彼女がコミュ障のオタク少女綾戸を好演した『3D彼女 リアルガール』をDVDで見直してみようかと思い立ちました。

追記2:
 シアターから出てくると、ロビーが非常に混雑している状態でした。磯部泰宏という監督の2020年の『いる』という作品の上映が最新作の『みない』と併映で一挙に見られるイベントとのことでした。全くその存在を知らない監督と作品群で、全国で二ヶ所しか上映されないようでした。その熱狂的なファンがロビーを半ば埋め尽くすほどに居ることが印象に残りました。